vol.20報告(2/2)―人類は、進歩した技術で20年後も掲示板を作るのか!?

20年後のITはどれくらい変わっているのか?
20年後のITはどれくらい変わっているのか?

TechLION取材班のまつうらです。先週に続き、3/24に開催しましたTechLION vol.20のレポートをお届けします。(当日の模様を収録した動画も準備できましたので是非一緒にご覧ください)

前半戦では今回の3人のゲストそれぞれの方に「20年」をテーマに語っていただきましたが、後半戦はゲストも司会者も全員参加のパネルディスカッションを行いました。

ITにとっての20年はあまりにも長い年月で、殆ど何もかもが変わったように思えます。しかしいざ議論が始まると、変わったものばかりでなく、殆ど変わらないこと、ずっとそのままなものなどが意外に多くあることに気付かされました。

■第3部 ジャングルバス.com

本日のディスカッションではいずれも『20』にちなんだサブテーマに基づくトークが繰り広げられました。ここではその中から興味深かったものをいくつかレポートしたいと思います。

エンジニアとして20年前と変わったこと

エンジニアとして20年前と変わったこと馮P:エンジニアをやってきて、この20年間で変わったこと変わってないことについて聞いていきたいと思います。
松本:私、研究者なのでエンジニアではないんですが(笑)……。根本的に変わってないと思います。何かやらなきゃいけない時の考え方ってあまり変わってないな、と。特にネットワークなんて、IP以上のものって何も出てきてないし。
堂前:私は20年前から、学生バイトながらプロバイダーやってて、その意味では20年間ずっと変わってなくて……。でも世間の見方が全然変わったなとは思いますね。
桜庭:私も研究職なんですけども、変わってないですねあんまり。
法林GM:使っているテクノロジーが変わったりは?
桜庭:それはまぁ……、Javaですねぇ(笑)
馮P:20年前ってまだここまでネットワークを意識してなかったと思うんですが、そのあたり皆さんいかがですか?
松本:私はパソコン通信の時代から始めてるので30年前から繋いでましたけど、変わったなーと思うところと言えば、昔は無手順接続だったものが今はIPになったことですね。でもやってることは掲示板なんですよね。
法林GM:繋がった上でやってることは実は変わってないと。
松本:ただ、やっぱ劇的に変わったなーというのは、サーチエンジン登場後ですね。今では「ググレカス」が普通の言葉になったように、調べるとなったらまずネット検索ができるようになった。これはスゴいことだなと。
馮P:コンピューターの性能は20年前とはがらっと変わり、できることが大きく変わったんじゃないかなぁと思うんですが。
堂前:でも結局掲示板ですよね、絵文字とか使えるようになって超リッチな掲示板になったりはしてますけど。でも一つ違うことがあって、以前はコンピューターのことわかってる人間だけが参加してましたけど、今はその文化を持たない人がやってきて炎上するみたいな……。やってることは変わらないけど、参加者のメンタリティーが違うってのが大きな違いだと思います。
馮P:昔は作り手と使い手が被ってましたが、今は殆ど別になってきましたからね。

馮P:少し話替わるんですけど桜庭さん、Javaのコミュニティーを20年見てきてどうですか?
桜庭:ぶっちゃけ、年取ったなぁと(笑) Javaに限った話じゃないですけど、中の人達の年齢がそのまま上がっていくという……。
馮P:離脱する人もいるんですか?
桜庭:います。コミュニティーって「余暇」なんですよ。なのでマネージャーになったりして仕事が忙しくなるとコミュニティーには出られなくなっちゃうとかあるんですね。最近再びJavaが注目されたおかげでまた若い人が入ってきてはいるんですけど中間層がいなかったり。
馮P:20年ともなると、親子関係ができてもおかしくない年月ですよね。
堂前:IIJの古参のメンバーもこども達がユーザーとして普通にインターネット使ってたりしますしね。
法林GM:もうすぐ入社してくるかも……

この20年で、最もインパクトのあったテクノロジーは?

この20年で最もインパクトのあったテクノロジーは?馮P:この20年で最もインパクトのあったテクノロジー。いろいろあったと思うんですけど皆さん何を思いつきますか?
桜庭:そりゃあJavaです! Javaが出てきた時って物凄いインパクトがあって、最近AppleがSwiftを出して一応話題になりましたけど、あんなもんじゃなかった。
法林GM:プログラミングが変わるくらいの言われようだったですものね。
馮P:言語で雑誌ができちゃうのって今考えるとすごいですよね。桜庭さん以外の方はどうですか?
堂前:一番大きいのはインターネットへの繋ぎ方ですよ。昔ダイヤルアップだった頃は回線交換網の上にパケット交換網がありましたけど、今は逆にIP電話で、つまりパケット交換網の上に回線交換が実現される時代なんですよ。これがこの20年で実は一番大きかったんじゃないかと。
法林GM:松本さんどうですか?
松本:今思い出したんですけど、Netscapeですね。あの頃は学生だったか社会人なりたてだったかくらいでしたけど、やっぱりすっごくインパクトありましたね。
法林GM:20年選手の人にとってはあれが一番大きかったんでしょうね。
馮P:法林さんはどうですか?
法林GM:かなり広い括りですけどやっぱWebかなぁ。それまでインターネットには色々なプロトコルがあったのにWebが普及したらみんなHTTPになってしまい……。昔このイベントに砂原先生村井先生が出てくださって、次世代が前世代の技術の上に新しい技術を作ってどんどん積み重なっていくみたいな簀子(すのこ)理論をおっしゃってましたけど。Webは大きなインパクトのある技術だと思います。
馮P:僕も喋らせてもらうと、位置情報がすごく変わったなぁと思います。2008年にリトアニアに行って道に迷ったことがあってそのことをSNSに書いたら「今どこにいるの?」って返されて、「いや、それがわからなくて」みたいなやりとりしましたけど、今ならもうわかるじゃないですか。

次に来る注目テクノロジー・トレンドは何?

次に来る注目テクノロジー・トレンドは何?馮P:ここまでは昔話でしたけど「そろそろ、これくるんじゃないかな」みたいに感じるものはありませんか?
松本:こういう話をするときって「あぁ昔それあったね」っていうものが名前を代えて再来するというケースが結構あります。直近だとキュレーションとかキュレーター。言ってしまえば人力検索じゃないですか。spamや氾濫した情報で今、データが汚れてしまった状態なので、もう一回まとめなおす必要性が感じられます。なのでキュレーションやキュレーターっていうのは非常にまっとうなやり方だと思います。
桜庭:私は大学時代にニューラルネットワークというのを研究してまして、何故か今、ディープラーニングという名で再びのブームが来ているという……。焼き直しと言えるかもしれないですけど、昔はできなかったことがコンピューターの性能向上によってできるようになってきて現実的になってきたということなんだろうなと。
堂前:焼き直し論に近いところがあるんですけど、通信屋としては課金制度の見直しが来るんじゃないのかと。リッチな情報をやりとりをするスマホなどの端末がある一方で、IoTの時代では単純で細かいデータをやりとりするデバイスが無数の回線に繋がれるようになって、今の回線単位の課金制度じゃ「そんなにお金掛けられないよ」という話になってくると思いますので。
馮P:IoTに関してもう少し伺いたいんですけども、IoTの先に見えるものとか考えるものとかありましたら是非。
松本:失礼な言い方かもしれないですけどIoTは昔、M2M(マシン to マシン)だったんですね。携帯電話を犬や猫につければもっと売れるはずだなんて言われていた時代とやってる事は同じなんですよね。今は車のエンジンを携帯電話で始動したりとか言ってますが、でもこれからはその後を考えなきゃいけないです。
実際に先日あったインシデントなんですが、とあるメーカーの車に走行中でもドアが開くという脆弱性が露呈し、パッチ当てて直しましたということがありまして、「自分が生きている間に機械に悪さをされる時代が来たか」と思いました。機械が敵になるっていうケースがこれからリアルに出てくると思います。
馮P:一番安全なのは「何も使わない」みたいな。
法林GM:(vol.19に続き)またそういう話が出ちゃうのか……

2035年、ITやインターネットはどうなっている?

馮P:それでは20年後はどうなっていると思いますか?
松本:そろそろ空間をいじれるようになりたいです。例えば手で空間をなぞると、そこにコマンドが表示されるようになったり……。スクリーンとしての空間を目で見られて手足を使って操れるようになってるといいな、と。傍から見ると太極拳みたいな動きをしているような……。
法林GM:桜庭さんにはやっぱり20年後Javaはどうなっているか聞いてみたいですよね。
馮P:Javaは20年後にありますかねぇ?
桜庭:Javaが10周年の時に、Bill Joyが「次の10年でJavaは消えるかもしれない」と言ってたんですけど、残ったんです。それで思うんですけど Fortranって結構残ってますよね。COBOLも残ってますしLISPも残ってますよね。そんな感じで次の20年もJavaは残ってるんじゃないかと。ただ今の形のJavaがそのまま残るってのはあり得なくて、残るんだったらそれなりに何か進化してて違う形のJavaになっているだろうとは思います。
堂前:私もちょっと考えたんですけど、20年経っても世の中ってあんま変わんないんじゃないのかなって気がします。昔の科学雑誌を見ると21世紀は車がチューブを走ったり空を飛んだりする様子が描かれていましたけど、僕らは相変わらずキーボード叩いててますからね。
一つ希望的なことを言えば、電話が普通に浸透しているように、ネットやITも普通に浸透してほしいなと今でも思います。例えば脅迫電話とかあっても「NTT何やってるんだ」なんて今どき言わないですが、ネット上で事件が発生すると「プロバイダ何やってるんだ」って未だに言いますよね。法律的には整理が試みられたんですけども人間の意識っていうのがまだついてきてないということですね。
馮P:TechLIONは2035年、どうなってるんでしょう?
法林GM:これはどーだろう……。僕イベントでよく司会やってるんですけど「いつまでちゃんと舌が回るんだろう」っていつも気になってます。舌がまわっなくたったら引退だと思ってるんですけど。あ!今、回らなくなってる! ……引退かも(笑)

劇的な変化があってもやっぱり掲示板!?

馮P:会場の皆さんからも質問や意見などありますか?
観戦者:今の進化ってコンピューターやネットワークのスピードが速くなるといった連続的な変化ですけど、量子コンピューターの登場のような劇的な変化があった場合にはどう変わるでしょうか?
松本:やっぱりコンピューターの使い方、例えば計算のやり方であったり、アルゴリズムや設計といったものが根本的に変わると思います。私のところでも量子コンピューターの話題が最近普通に出るようになりました。ただ、普通の人がiPhoneと同じように量子コンピューターを使うというのはあり得ないと思っていて、専門家がそこで新しいサービスを生み出すんじゃないかなと思ってます。
桜庭:量子コンピューターに限らないんですけど、ハードウェアが良くなればソフトウェアが良くなってソフトウェアが良くなればハードウェアが……っていう流れがずっと続いていくんだろうなと。だから量子コンピューターが出てくればそこでまた破壊的イノベーションが作り出されるだろうと思います。
堂前:そのうえで、我々はやっぱり掲示板を作ろうかなと思うわけですね(笑) 茶化してるわけじゃないんですけど、最後はそこで人間が何をするかっていうところですよね。きっと、量子コンピューターでないと実現できないような何か破壊的な掲示板でしょうね。

◇ ◇ ◇

終始掲示板という話が出てきて可笑しかったのですが、どんなに技術が進歩しようが、10年そして20年経とうが、ITを他人とのコミュニケーションに活用したいという欲求は変わらないということですね。同様に、昔も今も変わらない人間の欲求が多数あり、それらを実現すべく各時代の能力に応じて様々な名前で同種の技術が登場する……。そういうことなのかなと、今回のディスカッションを聞いて思いました。ゲストの皆様、ありがとうございました。
(下の写真は、毎回恒例の出場者記念撮影。写真にマウスを重ねると……)

■次回5/25(月)は、ゲームに関係の深い方々を招待

次回vol.21予告さて次回のTechLION vol.21は、もう来月ですが5/25(月)に開催が決定しております。お招きするゲストは伊勢幸一@テコラスさん、清水勲@ミクシィさん、伊藤学@STUDIO Freesiaさん、と既に3人決まっていて、いずれもゲーム業界に関係のあるエンジニアやディレクターの方々です。

コンピューターの歴史を語る上では欠かすことのできないゲームというテーマに、TechLIONもついに踏み込みます! 既に予約受付中ですので、是非ともご参加ください。

vol.20報告(1/2)―IT業界の20年、考えさせられることがたくさんあった

TechLION取材班まつうらです。今週そして来週のブログでは、3/24に開催したTechLION vol.20のレポートをお届けします。

20年をテーマに開催します!
本日は「20年」をテーマに開催します!

TechLIONは2011/03/31に旗揚げしてから今回で5年目を迎えることになりました。これまでに開催してきた試合は19試合、そして今回20回目が行われます。そこで本日はこの20という数字から、「20年」をテーマに開催しようということになりました。

今から20年前といえば1995年。阪神大震災や地下鉄サリン事件の年として印象深いですが、流行語トップテンに「インターネット」が選ばれたり、Windows95発売、Java誕生、PHSやテレホーダイ開始など、IT分野でも大きな出来事のあった年でした。これらの用語を聞くだけでもだいぶ時代を感じますが、IT業界に生きる獅子達はこの20年に何を感じてきたのでしょうか。Javaと通信の分野から3人のゲストを招いて語ってもらいました。(当日の模様を収録した動画も公開いたしました)

■第1部・第2部 ITサファリパーク

#1 櫻庭祐一さん―Javaの20年

桜庭さん先程も紹介したように20年前といえばJavaが登場した年。この言語は一体どういう歴史を辿ってきたのでしょうか。Java歴=Javaの年齢(20年)にして、日本唯一の公式Javaチャンピオン認定者、桜庭祐一@Java in the Boxさんに語ってもらいました。

Java年表

桜庭さんのトークから主な出来事を年表にまとめてみました。たくさんあるJavaの用語を整理するにも大変参考になりました。(→当日のスライドはこちらです)

1991年~(前史)

  • GreenTeam発足。Bill Joy(vi開発者)とJames Gosling(Emacs開発者)がOakという名の言語を制作。これがJavaの前身となる。
  • Dukeというマスコットも制作。(言語のマスコットは恐らく初)
  • 当初STBを意識していたが、ブラウザーアプレットとしての道へ。
  • Oakという名は既に商標登録されていたため、後にJavaと改名することに。

1995年

  • 5月、SunWorldにてJava(JDK 1.0α2)発表。(桜庭さん。翌日DLし、Java歴開始)
  • NetscapeがJavaをバンドルすることも併せて発表。この影響でNetscapeに元々あったLiveScriptという言語も、JavaScriptに改名。混乱という悲劇を生むことに……
  • 日本で高木浩光氏により、JavaHouse ML開始。(過去レスをよく見ずに質問すると怒られるというとても厳しいMLだった)

1996年(拡大期~)

  • Java 1.0リリース。この頃既にJava VMGC、Thread、NetworkといったC言語では実装の大変だった機能がサポートされていた。
  • JavaOneカンファレンス初開催。現在に至るまで続いている。
  • ServletJDBCJavaCardはこの頃から実装される。

1997年

  • Java 1.1リリース(風間一洋氏らによる日本語入力機能なども取り込まれた)
Javaロゴの変化
Javaロゴの変化。NTTドコモから「携帯では線が小さくて見えない」と苦情が来たのだとか

1998年

  • Javaコンソーシアム設立(IBMを中心としたベンダー系コミュニティー)
  • JAVA PRESS創刊
  • Java2リリース(2なのにJDKとしては1.2。J2SE、J2EE、J2MEに分かれた)
  • ロゴが変わった(J2MEをサポートするNTTドコモからロゴの細線が描けないという苦情が原因か?)
  • ユーザー参加型の標準化機構JCP設立

1999年

2000年

  • J2SE 1.3リリース(HotSpot VM、新GCなど)

2001年

2002年

  • J2SE 1.4リリース
  • エンタープライズ向け端末が出始める。

2003年

2004年

  • J2SE 5.0リリース。(Ease of Developmentと呼ばれる言語仕様変更により、置いてけぼりになった人多数)

2005年(暗黒期~)

2006年

  • JavaSE 6リリース(6以降ではJ2SEと呼ばなくなった)
  • JAVA PRESS休刊(3月)、JavaWorld休刊(12月)
  • OpenJDKリリース。
  • JJUG発足。

2008年

  • JavaFXリリース(これが発端で従来の開発チームが分裂するなど悪いニュースが……)
  • この頃Android端末が登場する。

 

2010年

  • Sun Microsystems、Oracleに買収される(1月)。

2011年(再生期~)

  • JavaSE 7リリース。(リリーススケジュールとしてプランBが採用された)

2014年

  • JavaSE 8リリース。(関数型っぽいものが入り、クロージャ―論争に決着が付いた)

そして未来……

  • パフォーマンス向上の取り組み(CPU Cacheとの親和性や巨大メモリなど)
  • 新しいPackaging(もう一つの大論争テーマ)に決着が付く?
  • コミュニティーが影響力増大?
  • JJUG CCC 2015 Springやります!(2015/4/11(土)、ベルサール新宿グランド

⇒イノベーションが続く限り、発展も続くでしょう!

#2 堂前清隆さん―20年前のバックアップテープと格闘して思ったこと

堂前さん続いては堂前清隆@IIJさん。日本のインターネット黎明期に誕生したIIJならではの少し考えされられる話です。(→当日のスライドはこちらです)

唐突に渡された8mmビデオテープ

堂前さん、ある日会社の先輩に呼び出され、唐突に8mmビデオテープを渡されました。テープの裏には「All dump@ftp.iij.ad.jp 93/06/05」の文字が……。その中身の正体は、IIJが発足して約1年、IP接続サービスを開始する頃の公開FTPサーバーのデータだったそうです。

それを何とかして取り出すように指示され、社内のジャンク好きに「テープドライブ持ってませんか?」と尋ねたら、なんと所有していて、なんやかんや(後述)やって取り出すのに成功したそうです。

中身のデータが時代を感じさせた

フルバックアップだったためsyslogなんかも出てきました。それによれば、そのマシンのスペックは、SUN SPARCstation2、メモリ64MB、システム用HDDは1GB×2、FTP用HDDは2GBを4台(93年としては超大容量ストレージ!!!)。OSはSunOS 4.1.3でした。

FTPの/pubの中身も懐かしい。今なら/pub/linuxの直下には主要ディストリビューションが並びますが当時はGCCへのリンクがあったり、/pub/GNUの中にはEmacs 19.9やgcc 2.4.3が……。しかも殆どがディスク容量節約のために差分圧縮の“.diff.gz”になっているのです。

そして/pub/miscというディレクトリーを覗いてみると、そこにはxmosaic-sun.Zというファイルがぽつんと1つありました。調べてみるとこれはあのNCSA Mosaicのなんと1.0でした(今公開されている最古のバージョンよりも古い)。これも動かしてみようということになり、さっきのジャンク好きに聞きながらSPARCstation IPXを用意し、いろいろ試行錯誤しながら(後述)動かすことに成功したのです。

IT発掘考古学

動かすのに成功したと一言で書きましたがそこには色々な「IT考古学」ともいうべき発掘技術が必要だったそうです。

HDDの直し方
グリスの劣化したHDDの直し方。モーター始動に合わせて掌をクックッと回すのがコツらしい。

まずはハードウェア。ドライブやインターフェース(パラレルポート、Narrow SCSI、IDE、…)等が現存しなければ始まりません。また、現存していても機械的な問題が立ち塞がります。例えばプラスチックは割れ、グリスは固まり、ゴムベルトは溶け、これらは劣化三兄弟と呼ばれています(堂前さん談)。動かなければ直すわけですが、例えばモーターの動かないHDDの直し方にもコツがあります。写真のように、手のひらをスピンドルモーターの軸の直上に宛がい、通電後にクックックッと手を小刻みに回すのだそうです。その際、モーターのうなりを感じることが重要らしいです。

そうして動き出したら次はソフトウェアです。デバイスドライバーはあるか、古いファイルフォーマットは読めるかといった関門を突破しなければなりません。特にデバイスドライバーはホストに繋がるものですので仮想マシンでどうにかなるとは限りません。関門はまだあります。ユーザーの記憶です。古いコマンドともなれば使い方を忘れがち。例えばtarコマンドはもともとテープドライブを操作するものですが、巻き戻しのやり方を覚えていますか? ……そんな時に役立つのは古いmanだそうです。

ソフトウェアはローカルだけの問題ではありません。ネットワークアプリケーションではまたプロトコルの後方互換性も重要です。この当時の端末にはDHCPが無かったのです。ネットマスクは/16(クラスB)や/24(クラスC)などに固定されておりCIDRなどという概念が無かったからです。これには少し悩んだそうです。そして、次はHTTPリクエスト。Mosaic 1.0のHTTPリクエストはなんと、
“GET /”
という1行どころかたった5文字。HTTPのバージョンすら通知しません。これだとさすがに名前ベースの仮想ホストには対応できないものの、それでも今どきのApache 2.4はちゃんと応答を返してくれたそうです。

未来に向けた心配

Mosaic 1.0のたった5文字のリクエストが今のホストにも通用したというのはさすが柔軟な解釈のできるテキストプロトコル(HTTP/1.1まで)ならではだと思ったそうです。ところが、昨年発表されたHTTP/2はバイナリープロトコルです。果たしてHTTP/1.1までが兼ね備えていた柔軟さは残るのでしょうか? HTTP/2によって、我々は何を得て何を失うのか、考えていかねばならないと感じたそうです。

今回偶然見つけた8mmテープからMosaic 1.0環境を復元したように、もし20年後の2035年に、2015年の遺物を見つけたら、果たして彼らは中身を発掘できるのでしょうか?

#3 松本直人さん―災害コミュニケーション~災害時におけるIT活用とその課題

松本さん20年前の1995年といえば阪神大震災の年で、これは大災害に対して初めてインターネットが活用された事例だったそうです。そこで次は災害に対するITの活用に関する状況や課題について松本直人@さくらインターネット研究所さんに紹介してもらいます。(→当日のスライドはこちらです)

災害発生時における情報収集の限界

最初は、東日本大震災発生当時に起きた通信インフラへの影響に関する話です。

スライド(【情報通信空白地帯】)は、東日本大震災が発生した当初の携帯電話および固定電話の不通地域を図示したものです。しかもこの状況を把握できるまでに半年かかったという点が被害の甚大さを物語っています。

情報通信空白地帯
【情報通信空白地帯】 赤色が携帯電話不通エリア、薄緑が固定電話不通エリア(震災2か月後)

通信事業者である松本さんの友人が、移動基地局を車載し、震災発生の翌日から被災地に通ったそうです。道路は波打ち、雨が降ればさらに悪路になり、電灯が無いので夜になれば暗闇になり……。何度も通っていたがゆえに、現地がどういうことになっていたかよく知っていたそうです。

今回の震災では、スライドに示した状態が震災発生から2か月余り続き、完全復旧には1年ほどを要したそうです。ここで松本さんが訴えるのは、まずITでできることというのは通信網がある場所でしかできないということであり、そしてこういう事態は恐らく今後我々が生きている間にも起こり得ることだということです。

地方自治体が依存するAS(自律システム)

このように通信網が使えなくなってしまってはIT設備は何の役にも立たなくなってしまいます。では公共機関である地方自治体はどういう対策をとっているでしょうか。

地方自治体がITを使って果たす役割の一つにWebを使った情報発信がありますが、それぞれがどの通信事業者のAS(自律システムと呼ばれるネットワーク)に接続しているかを調べると興味深いことがわかります。日本に1700以上ある地方自治体が利用しているASは現在166あり、利用しているASの上位およそ3割は4つの通信事業者のASですが、その他のASがロングテール的に使われています。

例えば地方自治体数の少ない香川県のAS利用状況を見ると、やはり上位は見慣れた大手通信事業者のASなのですが、一部に静岡の通信事業者のASを使っている自治体が存在しています。また、東日本大震災で甚大な被害を受けた福島県の状況を見てみると、一つの自治体で複数のASに接続しているところがあります。ただこれは単純なDNSラウンドロビンでミラーリングしていて、障害の起こったASを避けるわけではありません。従ってどれかのASで障害が起これば繋がりにくくなりますが、それでも完全に不通になってしまうよりはいいということを、SIerさんが提案したのではないかと。震災以後意識が変わったんでしょうね、と松本さんは言います。

一般市民レベルでの災害把握

例年8月頃は岩手地方は豪雨に見舞われるため、その時期に岩手で豪雨を例にとって災害にどう対応できるかを体験するワークショップが催されたそうです。

視覚情報による災害把握
視覚情報による災害把握。近年はスマートフォンとWebサービスがあるだけで、だいぶ把握ができるようになってきた。

その結果わかったことは、近年の技術なら特に特別な装置がなくても、概況を把握するところまではうまくできるようになっていたそうです。例えば、検索エンジンで映像も含めた状況を調べたり、逆にカメラで撮影した状況を発信したり、避難勧告のアラートを受信したり、GPSで位置情報を確認することも。それらをたった一台のiPhoneでもこなすことができます。

さらに最近では、全天球カメラ(THETAなど)で360°の光景を撮影し送信することもできます。一度に伝えたい映像はたくさんあったりするのでそういった場合に貴重です。これにGoogleの画像検索を組み合わせれば、サイトや日時での絞り込みを併用して、災害時の履歴を追うことも可能です。

松本さんは、トークの合間でも災害時は助け合いが大切だと言い、最後にも「災害対応を他人任せにしない、自分で行動しましょう」と言いました。情報端末も通信網も、受信する情報がなければ意味をなしませんので確かにその通りだと思います。危険を冒して、あるいは不確かな情報を、無理に発信する必要はないと思いますが、必要な情報は自らも発信することでITを活かすべきだと私も思います。

◇ ◇ ◇

三人ともとても興味深い、そして時の積み重ねを感じさせるトークでした。ありがとうございました。というわけで次週のレポート後半に続きます。

vol.17報告(3/3)―言語イベント運営者座談会。舞台裏、ノウハウ、苦労話など話題は尽きぬ

TechLION取材班のまつうらです。6/26(木)に都内で開催しましたTechLION vol.17のレポート最終回をお送りします。(レポートその1その2はこちら)

LL TimeLines
vol17開演時、Twitter上でもツイートバトルが繰り広げられていた!?

今回のテーマは言語イベント。ステージ上では各種LLのキーマン達によるトークバトルが繰り広げられていましたが、実は場外でも密かにトークバトル(?)が繰り広げられていたことに気が付きましたか? TechLIONではいつもステージ横で、観戦者がつぶやくツイートをリアルタイム中継していますが、今回は4言語がキーワードとして含まれるツイートを、それぞれのタイムラインで追跡。これによりどの言語が最も盛り上がっているかを中継していたのです。

それでは、あたかも4大言語イベントの第0日のようになったトークの模様(注1)を、ダイジェストでご覧ください。

(注1)このセッションの録画を公開しています。是非こちらもご覧ください。(撮影協力:日本仮想化技術様)

■第二部後半 「LLとコミュニティの過去・現在・未来」座談会

4大+1言語イベント運営者勢揃い二部後半はこんな感じ(写真)で、4大言語イベント実行委員長に加え、LLイベント運営者の一人ということで法林GMもパネリストとして参戦。馮P一人になってしまったMC側には、第一部のゲスト小山さんが代打で加わるという、TechLION史上初の展開で進行。

出された質問への回答をボードに書きつつ発表するといういわゆる大喜利形式にて、イベント運営者視点での舞台裏話や運営ノウハウ、悩みなどなどが語り合われる座談会となりました。

最初に触れた言語と、今の言語への出会いは?

運営者達が最初に触れた言語
今各言語イベントを仕切る運営者達も、最初に触れた言語はそれぞれ違う

馮P: ではまず無難なところで、「初めて触ったプログラミング言語」を聞いてみたいなと思います。ちなみに小山さんは?
小山さん: 私は最初BASICですね。名前何だったかなぁ。
法林GM: 『中学1年 PC-8001のBASIC』 これはうちの親が「これからはコンピューターの時代だ」といって、泊り込みのパソコンセミナーに僕を参加させたんです。
和田さん: 『JAVA』 僕はJavaですね。大学2年の情報処理の授業で。その時の課題でゲームを作ろうということになって「ジャバシックパーク」というのを作りました。話が進むと、恐竜になるか、ダメな恐竜になるか、不良恐竜になるか、という(笑)。
前島さん: 『C++ 16-17(歳)』たぶんC++、もしくはJavaだったと思うんです。高専の授業で。でも全然真面目に勉強してなくって、あんまり触ってないですけど。
角谷さん: 『N88-BASICだと思う』 記憶が定かじゃないんだけど、母親の実家に帰省したら、離れに叔父さんのヤバい部屋があって。ゲームがしたい一心でベーマガのリスト打ち込んで……。
鈴木さん: 『FORTRAN』 私も高専の1年か2年の時にやったんですけど、世代の違いがすごいなあと。C++なんて存在していない頃ですよ。
法林: やっぱり世代の差は感じますね。初めてがJavaとか、いくつですかって感じですよ。
和田: でもJavaわかんなかったですけどねえ。わからなくて、Cで作るとかのほうが面白かったですね。

出会いに関する質問
言語との出会いのみならず、イベントはまた別の出会いももたらすみたいです

馮: 今、みなさん別の言語のイベントを仕切られているわけですが、言語のチェンジってどのタイミングであったんですか。
法林: 僕の場合は大学3年の時、学科にUnixが入ってきて、シェルを触った時に変わりました。僕のLLイベントにつながる原点はそこで、LLの精神の一つでもあると思うんです。
和田: 僕も近いものがあります。いきなりJavaやったのも大学にUnixがあったからなんです、研究とかやる都合上。それでGUIのIDEを使ってやる環境もあったんですけど、だんだん面倒臭くなって、そのあたりの頃が分かれ目だったのかもしれません。
前島: 私は社会人になって初めて使った言語がPHPだったので、それがきっかけですね。仕事がきっかけで、そのまま今に至る感じですね。
角谷: コードをちゃんと書いたのって、就職してから。’98年くらいにオブジェクト指向が流行っていたので勉強しようと思ったんだけどよくわからなくて……。そんな時にRubyを動かしたら「なにこれ、超便利!」ってなって、それからRuby厨ですね。
鈴木: 私はなんだろ。会社に入って、Javaの研修を受けてこいって言われ。でも皆が使いだしたらJavaはめんどくさいなと思うようになって……。それでPerl4を書いてたんですけどそろそろなんか違うのやりたいな、って思ってRubyにトライしたんですけど挫折して。その頃Zope(編註:Pythonで書かれたWebサーバー・フレームワークの一種)というのがありまして……、
小山: Zope!? 使ったことあるよー。やっぱりZopeからPython入るんだ。

法林: 話聞いてると、Javaで挫折した人多いですね。
馮: 会場でJavaで挫折した方はどれくらいいらっしゃいますか? おぉ、結構いますね。
鈴木: いや、挫折したわけではないんですけどね。

イベントの収支 ― なるべくトントンを目指している

イベント運営者が抱く2つの疑問
やる気の引き出し方にお金の取り扱い方、運営者であってもどちらも気になる話

和田: ちょっと重たいテーマなんですけど『お金周り』。100人くらいだったら懇親会を設けたり、足りなくなったら肩代わりするとかでなんとかなりますけど、500人、1000人ってなったらみなさんどうしてます? ちなみに、YAPCの場合はJPAっていう法人立てて余剰金をプールしやすくしてるんですが。
法林: LLイベントの場合、財布はJUSが持っていて少々の赤字は大丈夫ですが、方針としてトントンにするというのを目標にしています。あと、スポンサーはとらず、参加費だけで賄える範囲のイベントにするということを基本ポリシーにしてます。
小山: 私もLLのスタッフですけど、スポンサーになりたいという会社は結構あるんです。懇親会や景品でという特例はありますけど、基本お断りしてるんです。企業に頼っていると、不景気になった時にイベントできなくなっちゃうのは嫌だよね、って。
前島: PHPConは参加費貰っていないので、基本的にスポンサーさんのお金でやり繰りしてます。方針的にはやはりトントンになるように考えています。かかる費用は会場と印刷物くらいですし、余らず足りなくならない程度に調整しています。
和田: お金の出し入れをする場所は?
前島: 今はアシアルさんという会社にお世話になってます。
角谷: RubyKaigiでは一般社団法人でお金を管理してます。スポンサー協賛は募集するけど、カンファレンスの運営はそれをアテにしないような設計でやってます。あとお金持っていてもしょうがないので、「なるべくトントンにしようよ」って。

和田: 他の地域でやっているRubyKaigiとかに補助っていうのをしている?
角谷: そうですね。たとえば派遣する講師の交通費を出してあげたりとか。まあできれば独立採算的にお金の管理は各地でやってもらって、こっちは事務的な事を手伝うとか。
和田: JPAも同じことやってますね。地方のPMで開くイベントに、講師を呼びたいっていう申請などあれば。
鈴木: PyConは一般社団法人を作っていて、お金の管理はそこでやってます。やっぱり同じ感じで、イベント単体ではできるだけトントンを目指してます。あんまり余らせてもバランスが良くないよなと思うので。RubyやPerlみたいに地域サポートもやりたいですけど、まだうまくできてなくて、まだ目標段階です。

スタッフとの人数と、その連絡手段は?

Googleスプレッドシート
Googleスプレッドシートって、複数人で同時に編集できたりして、確かに便利ですね

鈴木: 『スタッフは何人くらい?』 イベントスタッフってどれくらいいるのか、そしてどうやりとりしてるのか興味あります。
馮: そうですね、使っているコミュニケーションツールとかも言っていただけたら。
法林: 一番古い(そうでもないか)、LLイベントは今30人くらい。開催日だけな人も含めればもう少しいるかな。やり取りは古くてメーリングリスト(ML)なんですけど、MLだと皆読まなくなってきてるので考えた方がいいなーって最近……。
和田: YAPCは8月末でもう近いんですけど、現状のスタッフは10人弱ですね。じつは僕にとっての初回なので、クオリティーコントロールしたくてまだだいぶ一人で動いてます。でもこれから当日のスタッフを募集するので、+20~30人の予定です。コミュニケーションにMLは全く使ってなくて、Facebookグループを使ってます。メアドを聞くのが面倒だったりするんで。ドキュメント管理は、Google Docsでやってます。
小山: Facebookグループは「いいね!」を押すだけで誰が読んだかわかるのがいいよね。
前島: PHPConはスタッフの数は30人から40人くらい。やり取りは同じでFacebookグループ3,4年使ってます。ファイルもそのFacebookグループにあげるか、Google Docsでやるか、って感じです。
角谷: RubyKaigiの運営スタッフは10人くらいですが、会期中になると当日スタッフを募って30人くらいです。2011年(シーズン1)の1000人規模の時は50人くらいだったんですが、この規模だと大変だなぁと思っていて……。コミュニケーションツールについては、一番偉いのがGitHub Issueで、去年からずっとこれでやってます。
鈴木: PyConはたぶん今30人強のスタッフがいて、コミュニケーションにはSlackっていうチャットツールを使ってます。マスターの情報についてはJIRAのIssue管理でやっています。

法林: LTの時、作業日(Work day)があると言ってましたが、作業日には皆来るんですか?
鈴木: 昨日たまたまやっていて14,5人くらい。毎月やってるんですけど、その前は20人くらい。でも最近はこれだけだとちょっと意思疎通がとれてないので、作業チームごとにミーティングをお願いしています。
和田: エンジニアがイベント業をやると、ExcelやGoogle スプレッドシートの使い方に戸惑って、勉強していく、みたいなことありません?
馮: Google周りは特にそうかもしれませんね。
角谷: Google スプレッドシートはねぇ、「これ便利だね!」って。

運営上の苦労話

試合多い
試合が多くても燃え尽きない秘訣は、「時々休むこと」、「コンプリートしたがる習性を抑えること」。

法林: 『スタッフにやる気を出させるには?』 今の僕の最大の悩みです。あれをやってください、これをやってくださいと言うんだけどやってくれない……。どうしたらいいと思いますか。
鈴木: Issueをすごく書いてます。Issueのいいところは、まず書いた本人に期日を設定してもらえるじゃないですか。だから「約束したよね?」って言いやすい。あとは「作業日」(顔を合わせて手を動かす日)を決めています。
小山: Issue管理って、やっていくとどんどん数が減るじゃないですか。
鈴木: そうそう、気持ち「終わらせてやった!」って。
角谷: 「作業日」いいですよね。作業して、打ち合わせしているうちにいろいろ決めちゃえます。
鈴木: そうなんです。ただ弊害もあります。最近(作業をこなすばかりで)ミーティングをやらないので、前後関係を把握する機会が無くなっちゃうんですよ。そこがトレードオフというか。
小山: 両方それぞれ日を設けては? 頻度は高くなるけど、第2,第4水曜というふうにして毎回決めちゃうと、皆ある程度「その日は予定空けておこう」ってなるので。あと、オンラインだと止まっていたものは、顔を合わせると動き出すってことも。まあ、それでやる気がでるかどうかは人それぞれですよね。
前島: 時間が解決してくれるのを待つしかないかなぁとも思います。「あ、そろそろこれやらないとヤバいんじゃないですか、○○さん」ってFacebookグループで名指しで言ってみるとか。
法林: 経験上、LLプログラマーって、仕事は早いんだけど始めるのがすごく遅いです。その瞬間的な仕事ぶりには感心しますけど……
小山: 僕も法林さんの血圧を高める側だったりもするけど、やってみるとあっという間に終わるんだよねー(笑)

馮: 会場からもちょっと質問を拾ってみましょう。
参加者: 呼んだ人が来なかったり、呼んだら呼んだで大変だったこととかありますか?
和田: 断られることも結構あって、ある方には3年連続で断られてます。それとあと、ドタキャン。
小山: ドタキャンって連絡無しに来ないの?
和田: そういうわけじゃないんですけど、色々あります。事件があったりとか、飛行機トラブルとか、やりとりの時差で決定が遅くなったりとか、英語の問題とか……。
前島: PHPConも結構呼んでる人が多くて毎年苦労するんですけど……。でも割と来てほしい人には来てもらえてますね。
角谷: (飛行機から)降りる降りないで時間がかかってドキドキすることが人によってはありますね。

合同で言語イベントやりたいね

何でもできる!法林: 僕はねー、4年に1回、この言語全部集まってイベントやりたい。
馮: それはなんだか今の感じだと実現しそうですね。
和田: いろんな団体と組みたいけど一つ挙げるならPyConですかね。よく開催日被るので(笑)。逆にRubyKaigiとは組みたくない。だってファンになりかねない(笑)。イベント設計がスゴいですよね。
前島: 組みたいところは、うーんPyCon。開催日がよくかぶりますからね(笑)。
鈴木: 私は、ビッグサイトのあっち側とこっち側みたいな感じでどことでも組んでみたいですね。チケットが一緒で、どっちにも入れるんだけど「両者勝手にやってます」みたいな感じで。
和田: 幕張メッセでやりますか! 合同で、各ホールを占拠して。
鈴木: それ会計担当の人が死ぬと思う(笑)。
馮: 面白そうですねー。このメンバーだったらやろうと思えばできますよ!

といった感じで、舞台裏から運営ノウハウ、苦労話、今後の抱負的なことまで、普段のイベントではまず聞けないであろうレイヤーの話題がたくさん交わされました。それにしてもビッグサイトや幕張メッセのような巨大ホールを占拠した合同イベントが開催されるとなったら、ものずごく興味ありますね。そうしたら、より一層大規模なWi-Fi環境の構築ノウハウなども積まれていくのでしょうか。

ゲストの皆様、ありがとうございました。(マウスカーソルを重ねるとポーズが変わります)

■次回は9/25(木)開催予定

さて、次回TechLION vol.18も既に動き出しています。開催日は9/25(木)で、場所は同じく六本木SuperDeluxe。

ゲストも現時点で既にお二方が予定されています。お一人は、増井俊之先生@慶應大。携帯端末やOSの日本語予測変換システムとしてお世話になった方も多いであろうPOBoxの開発者。もうお一人は寺薗淳也先生@会津大。あの小惑星イトカワへ60億kmものおつかいに行って戻ってきた探査機はやぶさのプロジェクトに関わっていた方です。

まだ増えるかもしれませんよ。とにかく今後のアナウンスに注目していてください。というわけで、次回もお楽しみに!