オープンソースで街を取り戻そう

こんにちは、TechLION取材班のまつうらです。
今日は今私が関わりはじめた浪江町タブレット事業についてお話します。

Code for Namie(公式ページより引用)■のどかな田舎だった福島県浪江町

その前に今さらながら自己紹介をしておきます。私が生まれたのは福島県浪江町。育ちは東京ですが、母の実家が浪江にあり、お産をしに帰省していたというパターンです。

そういう縁もあって、小学生の夏休みなどはよく家族で帰省していました。DASH村に出てきそうな(同じ町内であることが後に判明)のどかすぎる田舎で、虫を採ったり、突然襲いかかられて脅かされたり(笑)。夜は庭で花火をやりながら、あれが(都会では殆ど見られない)天の川だと教えられ、その迫力に圧倒されたりもしました。

■冗談のはずだった原発事故が現実に

隣町に原子力発電所があって、それがどういうものなのかが分かる年齢になった頃、「あれが爆発したらここも終わりよね」と親戚の大人たちが冗談を飛ばしていたのを耳にしました(筆者注:誇張するための作り話ではなくて実話です)が、2011年3月、冗談のはずだった話は現実になりました。しかし町民は電気も通信手段も断たれために、原発事故が現実のものになったことを数日かけて次々知らされて、避難したそうです。

一年経っても殆ど復興は始められず

浪江町内1(2012/03/30)
浪江町内(2012/03/30)。一年後なのに復旧は手つかずだった。
浪江町内2(2012/03/30)
浪江町内(2012/03/30)。殺処分の受け入れは簡単な話ではない。
一時帰宅(2012/03/30)
実家にて(2012/03/30)。狭い仮設住宅へ持ち出せる物品の量はわずかだった。
浪江町請戸地区1(2012/03/30)
浪江町請戸地区(2012/03/30)。この地区は、津波で一時帰宅する街すらなくなり、1年経っても瓦礫がどけられただけ。
浪江町請戸地区2(2012/03/30)
浪江町請戸地区(2012/03/30)。津波で剥がれた道路はまだ砂利道のままだった。奥に見えるのは福島第一原子力発電所。
浪江町請戸地区3(2012/03/30)
浪江町請戸地区(2012/03/30)。当時この地区では、亡くなった人に手を合わせることくらいしかできなかった。

避難所確保の問題から多くの町民が滞在場所を転々とした後、県内の近隣市町村に避難した人もいれば、集団避難や親戚を頼るなどで北海道から沖縄まで、様々な地域に避難することになりました。

■浪江町民は、2つの役割を担う街を失った

あれから4年、浪江町の町民はこのブログを公開した今日に至っても誰一人帰宅を果たせていません。理由はもちろん原発事故によります。すると何が起こるのか。町民の流出が起こるのです。別の市区町村で暮らしていることで浪江町からの行政サービスをまともに受けられないという不便は耐え難いうえ、そもそも馴染みのご近所さんとは離れ離れになってしまったので、震災前の地域コミュニティーを維持することも困難なのです。そして実際、浪江町民の流出が続いています生活空間としての街、人との繋がりの場としての街が失われ、しかも原子力災害によって、回復が著しく遅れているのです。

■「浪江町タブレット」なるものが配られた

しかしこの状況に、町も町民もただ手をこまねいているわけではありませんでした。昨年あたりから浪江町民にタブレットが支給される計画を耳にするようになり、そして今年3月、仮設住宅で暮らしていた実家の親戚の手元にもそれが届きました。

これがその正体「浪江町タブレット」。

浪江町タブレット
浪江町タブレット。本体には、コネクターの機能と場所や貸出世帯を記したラベルが貼ってある。画面に居るのは町のマスコット兼コンシェルジュの「うけどん」

Google Android 4.4を搭載したタブレットであり、Androidでできる事は一通りできます。Webブラウジングはもちろん、ラジオ放送を(インターネットのサイマル放送で)聴くことも、搭載カメラで写真を撮ることも、Googleマップで自分の位置までわかる地図にもなりますし、音声検索を利用して「明日の天気は?」と話しかければGPSを利用して今居る地域の天気予報を答えてくれたりもします。SkypeLINEを使えば遠く離れた親戚やご近所さんともテレビ電話までできます。使いこなせばこれだけでもかなり便利な道具です。

さらに、町民に向けたオリジナルアプリもあります。

なみえ新聞
オリジナルアプリ「なみえ新聞」。町の広報や県内のニュース、全国にいる町民が撮った写真を見せあえる場になっている。

なみえ新聞」は町の広報誌として、行政情報や生活情報、地域ニュースを、紙の広報誌が届けられない遠方避難者へも素早く発信することを可能にしました。逆に「なみえ写真投稿」というアプリでは町民がなみえ新聞に掲載される写真を投稿して、遠く離れた町民が今何をしているかを見せ合えるようになっており、ユーザーの間で人気になっているそうです。また「なみえ放射線情報」という、この地域の事情を色濃く反映したアプリもあります。

■タブレットには町民の切実な願いが詰まっていた

浪江町長のメッセージ
タブレットのヘルプアプリの最初にある浪江町長からのメッセージ(YouTubeでも「なみえタブレット道場 馬場町長 はじめのご挨拶」として視聴可)

どうやってこの浪江町タブレットは生まれたのか。実は2014年、市民主体でITによる問題解決を促進する団体Code for Japanの働きかけにより、浪江町民や支援者たちを巻き込んで、どんなタブレットを作るべきかを考えるアイデアソン、ハッカソンを重ねたり、町の存続を切に願う浪江町主体で事業化することで資金問題を乗り越えた末にできたものだったのです。こうした活動の末に具現化されたソースコードは、オープンソースソフトウェアとしてGitHubに公開されています。

このソースコードには、浪江町の近くで生活する町民はもちろん、遠く離れた町民へも行政サービスを補い、そして離れた町民同士のコミュニティーを復活させ、「街」を取り戻したいという、町の人々の切実な願いが込められているのだと思います。

■街を取り戻す活動は、まだ終わりではない

しかし課題はたくさん残っています。実際に使われるようになってから見えてきた課題もあります。例えば、仮設住宅はもともと人の住んでいなかった地域に建てられた施設であるため、携帯電話基地局の電波が弱い地域があって満足に使えないユーザーがいることがわかりましたし、他にも使っているうち「こういう機能やアプリがあったらいいのに」というリクエストも出たそうです。

タブレットは誕生しましたが、それで街が取り戻せたわけではありません。街を取り戻すために、今既存アプリの改良や新たなアプリの開発が始まろうとしています。題して「浪江町タブレット 最後の挑戦」

「最後」と称しているのは、このタブレット事業がとりあえず放射線量の低い地域への帰還が始まる来年までとされていて、その後は白紙だからです。きっとその後どうするかは成果次第なのでしょう。しかしあと一年で街を取り戻せるとは到底思えません。そして満足な成果を上げるために必要な人員はまだまだ足りません。この事業は、今後他地域で発生する災害対応のモデルケースにもなるはずです。オープンソース時代ならではのやり方で街を取り戻す方法の模索に、どうか力を貸してください。

■次回TechLIONのお知らせ

イベントの告知をする役目を超えていろいろ話をしてしまいましたが、次回TechLION開催お知らせです。テーマは「10年後の生活を支える最新IT動向」。今現在のIT業界の動向から10年先はどうなっているのかを考えてみようという趣旨です。

TechLION vol.23

「未来を知りたければ、自分で何かを生み出すことだ」という言葉を聞いたことがありますが、自分の取り組み始めたこのタブレットも、未来の被災者支援に役立つ仕組みになれるよう、お手伝いしていきたいです。

来週は、ともちゃさん!よろしくお願いします。