こんにちは。AIITの上田です。前回の私の記事はあまりにも軽すぎたので今回は重たく。なかなか重くもなく軽くもなくという記事が書けないのですが、書けないので好きに書かせていただきたく。
研究の話をしてみる
私の研究テーマの一つに、制御と人工知能の中間あたりの「行動決定」というものがあります。別に難しくもなんともなく、こういう話です。
- なにか「目的」がある。
- 「目的」に対して「行動」を起こす。行動を何回か繰り返して目的に到達する。
例えば、「花に水をやる」という目的があれば、「布団から出る(寝てるんかい)」→「外の水場に行く」→「じょうろに水を入れる」→「花に水をかける」というように、いくつかの動作の連続で目的が達成されるわけです。もちろん、「花に水をやる」という目的には後ろに「なるべく短時間で、花壇にまんべんなく」などと条件がついており、じょうろを使うのがいいのかヤカンを使うのがいいのか、外の水場がいいのかキッチンがいいのか、いろんな選択肢に点数をつけます。一番点数の高いのが「最適な行動の組み立て」ということになります。
・・・ここまで書いて気づきましたが、鉄道路線の検索も一緒ですね。例えば「最短時間で行く」、「乗り換え回数最小で行く」、「一番安く行く」、などが「目的」となって、それに応じたそれぞれの経路が出てきます。
この話の背景にある理論は、経路検索だけでなくて何でも適用することができます。というより、我々はその理論から、逃れることができません。この理論によると、目的が明確でないことに対して何が良いとか悪いとかを論理的に議論することは不可能という、新橋の居酒屋でグダグダ議論しているオッサンたちを全否定する脅威の結末が導出されます。
「目的」ってなんだろ?
「目的」の定義というのは機械の世界では簡単なことが多いのですが、人間社会においては本当に難しいことです。人生というでかい枠組みで考えると、例えばこんな「目的」があります。
- A: 金持ちになる。出世する。結婚する。子供を10人作る。利用者1億人のウェブサービスを作る。嫌な奴を社会から抹殺する。ブログの女王になる。国を支配する。世界征服する。
このような「目的」を達成するには、なんらかの努力が必要そうです。
一方、こんな目的も。こっちは拙速であると言えば拙速なのですが、自分の体や脳に対して直接作用する目的でもあります。
- B: 食欲を満たす。性欲を満たす。睡眠欲を満たす。生きながらえる。(「いいね!」をたくさんもらう、というのもこっちのグループかもしれない)
「Aグループの目的が達成されるとBグループの目的が手に入る」というのがだいたいの常識と言えそうですが、おかしなことに、Aを得るがためにBを犠牲にする人がいたり、最初からBがある程度手に入っている人もいれば、Bばっかり求めてじり貧になったりする人もいて、まあ様々です。出典がよく分からずコピペが出回っている次の小咄が、ここらへんの難しさをよく表現できていると思います。(私もコピペで恐縮です)。
(ティモシー・フェリス (著), 田中じゅん (翻訳): 「週4時間」だけ働く。, 青志社, 2011. にこの文の引用があるみたいですが、著者が考えた小咄かどうかまだはっきりせず、日本語版も入荷未定らしいので、これから英語版をKindleで読みます・・・トホホ。)
メキシコの田舎町。海岸に小さなボートが停泊していた。
メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。
その魚はなんとも生きがいい。
それを見たアメリカ人旅行者は、
「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの。」
と尋ねた。
すると漁師は
「そんなに長い時間じゃないよ。」
と答えた。
旅行者が
「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ。」
と言うと、漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。
「それじゃあ、余った時間でいったい何をするの。」
と旅行者が聞くと、漁師は
「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子供と遊んで、女房とシエスタして。夜になったら友達と一 杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって…ああ、これでもう一日終わりだね。」
すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。
「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、きみにアドバイスしよう。いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、漁をするべきだ。
それで余った魚は売る。お金が貯まったら大きな漁船を買う。
そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。
その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。
やがて大漁船団ができるまでね。
そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。
自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。
その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキソコシティに引っ越し、ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ。」
漁師は尋ねた。
「そうなるまでにどれくらいかかるのかね。」
「20年、いやおそらく25年でそこまでいくね。」
「それからどうなるの。」
「それから? そのときは本当にすごいことになるよ。」
と旅行者はにんまりと笑い、
「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ。」
「それで?」
「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て、日中は釣りをしたり、子供と遊んだり、奥さんと昼寝して過ごして、夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって過ごすんだ。どうだい。すばらしいだろう。」
同じことをやるにしてもお金があった方がいいので私は旅行者の話もよくわかります。一方、私の出身の田舎町だと、漁師のような考え方の人間がいっぱいいます(地方交付税交付金は正しく使ってください・・・)。しかし、話の論点はそこには無く、だいたい目的というのは、自分の肉体と外の社会で行ったり来たりして、目的が次の目的を産み、そうやって何か業績を生む人もいればグダグダしている人もいて、そして最終的に全員死ぬということです。
そんな人生、人の生き方をとやかく言う方が野暮です。だって答えがないんですから。先日、光栄なことに、わたくしにケチをつけてきたさる有名人(猿有名人ではない)がいたので、まあそんなことを考えたわけです。ええ、この文章は「私怨」でお送りいたしました。文句あるかっつーの。
多様性を楽しむことが大切なんじゃないかと。
それはさておき、じゃあ私らは何のために生きるんでしょう。あまり人を心配させてもいけないのですが、20代のときにこのようなものの見方を身につけてしまった私には、はっきり言って人生なんてどうだってよいわけです。その割には上記のように気にしているわけですが。
あ、誤解されると困るので一応お断りしておきますが、私にも野心的なものはそれなりにあるので、仕事はがんばっております。
そんなフリースタイル人生な私ですが、一つ、自分に課していることがあります。それは、いろんな人の「目的」を理解し、よく尊重することです。目的も考え方も違う人について、私は様々な感想を持つのですが、目的自体には、なるべく否定的なことを言わないようにしています(たまに言っちゃいますが)。私がフリースタイルなんですから、当然ですよね(言っちゃうんだけど)。私個人的には、例えば面白いウェブサービスとか、ガジェットがどうとか、このサービスであの人が億万長者になったとか言われても、一消費者として、医療や衣食住以外のプロダクトのほとんどにはおもちゃ以上の意義は見いだせません。しかしそれでも、何か行動を起こす人々が自分自身の目的を持つことで世の中でいろんなものを見ることができるわけですし、そのような人たちの話は、聞く側にとっても想像力をかき立て、ものの考え方を広げ、目先のことだけが世の中の全てではない、と考えるヒントになります。多様な目的を許容できる社会は楽しい社会なんだろうな、と思う次第です。
以上、グダグダ書きたいままに書いてきましたが、結論を一言で述べると、いろんな人の話を「賞味」することをオススメしたく、わたくしの身の回りの手段としてはTechLIONに来てちょうだいということになります。仕事は年度末で忙しいでしょうが、あんまり自分の仕事ばっかりしていると、自分の目的にだけに対して成功したと自認して他人に説教をするタイプの老人になっちまいますよ(言い過ぎ)。
ということで、次回vol.16の告知。3月5日(水)。場所は六本木SuperDeluxeです。
TechLION vol.16
出演者、演題が続々決まっていますので、このサイトのvol.16のページも要チェック!
次回は高坂さんです。よろしくおねがいします!